ウンベルト・エーコの傑作、『フーコーの振り子』をここ1ヶ月位の間に通勤電車の中で頑張ってようやく読み終えました(苦笑)。実はこの『フーコーの振り子』なんですが、3年近く前のこちらの記事でご紹介したのですが覚えていらっしゃるようなコアな読者の方はおそらくおられないと思います。私自身も忘れていましたので(笑)。
しかし本当にこの本は難敵でした。文字が小さい、文字と文字の間隔が狭い、分量が多い(文庫本ですと上下巻合わせて1200ページ近くになります。)、さらに内容が難しいのは言うまでもないとして、ストーリーの展開が理解し難い、漢字が難しい、おそらく無理矢理イタリア語から日本語に訳したであろう難解な熟語やら言い回しやらのオンパレード、もひとつおまけに(笑)句読点が少ない(これは外国文学の宿命かもしれませんが)など、全てを読み切るにはある程度の教養と忍耐がないと厳しいものでした。ただまあ内容は中々に面白いですし、かなりの知識が身について(その知識が正しいものかどうかはさておき)楽しいです。
(以下ネタバレ注意)
カゾボンは結局最後はプロヴァンの騎士のメッセージは秘密を暗示するものでもなんでもなく、「計画」など存在しなかったという結論に達するわけですが、この物語の大部分を占める「計画」の内容を語る部分とその「計画」に達するために引用する数々の文献や、猟奇魔たちの原稿の中身については結果として歴史や事実とは何の因果関係もないものとして受け止めなければならないので、そのことに関しては物語を読み終えてみると不甲斐なさのようなものを感じてしまいました。
私がこの本を読んでみようと思ったのも、他でもなくテンプル騎士団について興味があったからで、そのテンプル騎士団については物語の中では歴史上の事実よりも、カゾボン、ヤコポ・ベルボ、ディオタッレーヴィ、アッリエ等々を含め登場人物の多くが信じ込んでしまった、或いは推論として述べている事柄に終始してしまっているので、私が当初期待したほどテンプル騎士団に関しては教養が身に付いたとは言い難いとも感じています。どちらかというとイタリアの現代史について理解が深まった点が大きかったのではないかと思います。この物語に出てきた事象について一つ一つ理解していけば、相当な博識になることは間違いないでしょう。
※私は著作権の保護期間延長に反対しています。
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